#これまでの人生まとめ

生きてることに感謝。

淡々とその後の流れ。

葛藤の末、まだ娘が未満のうちは

昼間ランチにしてもらったり

数時間の遊びだけにした。

あまり外にでて手のかかる子ではなかったけれど

私がどっと疲れてしまうし友達にも気をつかわせる

のが嫌でそこまで自分が思っているほど

遊びに対しての欲はなかった。

て言うより友達と遊ぶ時間より娘との時間を

大切にしたかったし二人の時間が幸せだった。


この時はまだ周りに子供いる子もいなかったし

保育園のお母さん達とは本当に馴染めなかった。

聞かれることは、お父さんの事か仕事の事か年齢の事。

グループになってまたそれを話題にして

ストレス発散の陰口にされても嫌だったから

どんどん孤立していった。

普通そんな事聞くか?と言うことまで、、

そゆときだけ寄ってたかって尋問。

みんなグループからそれないように必死だな。

といつも見てた。これは私のただの偏見だけども。


そんなこんなで娘も年少にあがり

私もパートからフルタイムで仕事を

始めることにした。


高校も卒業してないし何か資格を

取ろうと思い介護の免許を取りに行った。

けど実習の時に私には無理だなと実感。

そしてその後前々から興味があった

トラックの中型免許を取得。


なんだかんだ親様々です。


続く。

出産。育児。そして葛藤。

臨月を迎える頃に仕事もやめ家事に専念した。

そして予定日近くなった日に破水し

病院へ向かった。

中々陣痛がこなく促進剤を使って

予定日前日の日、元気な女の子を出産。

入院期間はすごく不安で個室ではなかった

から夜中泣き出すと周りの人にも迷惑が

かかると思いすごく大変だった。

ある日の昼間、隣の人の家族が面会に

きておりそのタイミングで娘が泣き出した。

すると隣からよく泣くね〜うるさいね〜

と言っているのが聞こえた。

すぐ廊下に出て抱っこしてあやしてると

隣に面会にきていた祖母らしき人が私の方へ

来てそんなんじゃだめだよ。と言ってきた。

え?なにが?赤ちゃんが泣くのがいけないの?

と思いながら私はなにも反応しなかった。

ただそれが悔しくて悲しくてなんでそんなこと

赤の他人に言われなきゃならないんだ。と

思い一人泣いたのは覚えてる。

それから無事退院。


家がどれだけ快適か身にしみてわかった。

夜泣きもひどかったけど何故泣いているのかとか

徐々にわかってきて少しずつ余裕もでてきて

可愛くて可愛くて愛おしくて本当に産んでよかった。

生まれてきてくれてありがとう。と

毎日毎日思った。


地元にいれば地元の友達からの

遊びの誘いや赤ちゃん見たい

と言う連絡もあった。

だけど何か1回遊びにでたら歯止めが

きかなくなりそうな気がして断ってた。


娘が一歳を迎えるにあたり保育園にいれ

パートでバイトを始めることにした。

そしてカラオケのバイトを始める。

親に対しても金銭面で頭はあがらなかったし

申し訳ないという気持ちが強かった。


そしてそのカラオケによく友達や知り合いがきた。

この後娘も一緒に連れて遊ぼう。とか

夜だったら預けてでれないの?とか

断っていた気持ちが直接言われると

揺れ出し行きたい遊びたい気持ちが

また出てくる中私はすごく葛藤した。


続く。

17歳。きっかけ。

あれからなんだかんだ、実家にも

帰るようになったり帰れば会話をするように

なったり少しずつだけど前よりも

家族とのコミュニケーションはふえた。


そしてまたある時。

なんか体の違和感を覚え、お母さんに

相談をしたら一緒に病院へ行こう。となり

病院へ行った。

病院へ着いて何故か尿検査。

すると検査結果は陽性。

妊娠をしていた。

相手は誰だかそっこうでわかったけど

その少し前に私から彼氏をふっていた。


病院を出てお母さんが一言。

こうなる気がしてた。と、、

とりあえずお父さんに話しとくね。と。


怒られることもなく責められることもなく

何かを聞かれる訳でもなかった。


次病院へ行く日。

産婦人科にいきそこにはお腹の大きいお母さん。

赤ちゃんを抱っこしてるお母さん。

なんかとてつもなく私が居てはいけない

雰囲気のとこだった。

髪も明るく爪も長く明らかに10代の私は

みんなから冷たい目で見られてた気がする。

気がするだけだけど。

自分の診察の出番がきて何をするのか

何を話すのかわからなくて変な緊張をした。

先生も看護師さんも優しくてエコーと

言うものをその時初めて見た。

自分のお腹に赤ちゃんがいると確信し

その一瞬の時間で私はすごく母性を感じた。

この子に会いたい!私育てたい!と。


それからして家へ帰宅して両親と私で話し合い。


そう簡単ではない事。相手の事。

もう今までのようにはいかない事。

ただそれでもあの時からの覚悟は

変わらない。

むしろ私産まなきゃいけないとも思った。

そしてなにしろ会いたい。と。


最終的に両親は、反対もせず

応援する。協力する。と言ってくれた。


この時の自分の選択肢は揺るがなく

すべてを捨てる覚悟だった。


それからは、風俗はやめ

その時の関係してた友達や知り合いとも

距離を置くようになり親の協力のもと

アパートをひきはらい実家に帰り

臨月までは実家から元々働いてた飲み屋のバイト

に通っていた。

家にいる時は、家事をすべてして

今の自分にできることだけを考えてた。


子供の父親の事に関しては

両親は子供できたこと伝えて認知だけでも。

とは言っていたけど私は相手も私と同じ年で

若いしこれからのその人の人生を台無しに

したくなかった。

産むと決めたのは私の勝手だから。

だから産む事も言わないし認知もしてもらわないと。

あと戸籍に父親の名前を残したくなかった。

子供が大きくなった時に会いたいと言われても

嫌だったしもしその人に家庭があったら

私が勝手に決めた事で迷惑をかける。とも思ったから。

だから私は、未婚で認知しないで産むと決めた。


徐々にお腹が大きくなるにつれ

過去の私から徐々に考え方も生き方も

少しずつ変わっていった。

孤独になることもあったし

周りの子と比べることもあった。

けどこの子に会いたいから

この子を育てると決めたんだ!

と心に強く言い聞かせた。


続く。